昔の友人に、胸を張って今の夢を語れるか?という問い
こんにちは。ゆるふわ魔王です。
今回は昔の友人と会って覚えた、違和感について書いてみました。
人は年月を経て変わっていくもので、常に同じように生きているか、と問われればそうではないような気がします。
人によって友人との距離の取り方は様々だと思いますが、私のような方がいらっしゃって、共感していただけたら嬉しいなと思います。
昔の友人と会って覚えた違和感
昨日、大学以来の友人と会ってきました。
でも私はその友人と会って何をするでもなく、カレーを食べ、銀座周辺をぶらぶらして、軽く買い物をして終わりました。
会話の内容としては、自分たちの現況と、あいつは今どこにいるだの、何をしているだのといった話をなんとなくして、なんとなく別れ、帰路につきました。
昔の自分はこのことに何の違和感もなく素通りし、そのまま次の日を迎えていたと思いますが、今はなんだか、不思議とすっきりしない気分になっているのです。
その原因はなんだろう、、、と思って考えてみたのですが、それは昔の友人に会って話すことと言えば「昔のこと」ばかりだからというように考えます。
あの時ああだったよね、あそこに遊びに行ったよね、あいつがあんなことを言ったよね、といった感じで過去の自分たちの話ばかりしてしまって、どうも「今」の話をすることが少ないのです。
今、自分がこんなことに興味を持って、こういう風にしたいと思っている、こういう風になりたくて今頑張っている、という話をもっとすればよかったのかな、なんて少し後悔をしてみたりしたのですが、なぜこんな風に思ってしまうのでしょう。
「変わったね」と言われるのが怖い
それは、昔の友人に「お前変わったな」と言われるのが怖いからです。
昔はいいやつだったのに、今はあんまりノリが良くなくなったね、とか、前はそんなこと言わなかったのに、とか(実際には言われていないけれど)言われてしまいそうで、自分でストッパーをかけてしまっているのでしょう。
それが、冒頭で感じた違和感の正体です。
今、自分がやろうとしていることは、胸を張って言えないことなのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。
自分にストッパーをかけてしまうのは、いつだって他の人の意見や視線、批判などではないでしょうか。
でも、現実的に考えて、その意見や視線、批判は本当に言われているのでしょうか?
自分の中に生みだされた幻想の塊ではないでしょうか?
それを冷静に見つめなおさなくてはいけないと思います。
自分をさらけ出す
これは、たくさんの人が言っていることだと思いますが、
自分をすべてさらけ出して離れていくような人は本当の友人ではない
と思います。
過去の自分と対比して、今の自分はそんなに恥ずかしいものでしょうか。
人間はそもそも、変わっていく生き物なのです。
それが自分の想像を超えた進化だったとしても、許容できなければ付き合うのは難しい。
幸いなことに、私の周りにはそれを許してくれそうな友人がたくさんいます。
全員が全員、応援してくれるとは思いません。
でも、今の自分がやっていることを胸を張って語れるくらいにならないと、本当に成功するのは難しいと思います。
だから今度、昔の友人に会ったときに話してみようと思います。
ちょっと、どんな反応をするのか楽しみだったり、不安もあったり。
逆に、この友達は昔と言ってることが違うなと感じた時や、新しい分野に挑戦してる、と言われた時は、まずは受け入れたいと思います。
そして、できる限り全力で応援していきたいです(あまりにも犯罪じみているようであれば流石に止めるとは思いますが、、、)。
そうすることで、友人関係だけではなく、自分の中にも自信が生まれてくるんじゃないでしょうか。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
to be continued...
世界征服に至るまでの道は長い。